柏周辺から茨城県の風景や話題、また発達障碍・特別支援・自閉症に関する事や私の弟と勤務先の同僚の事の奮闘ぶりを・・・
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2008/05/11(日)19:41
私の母が結婚したのが昭和40年、もう43年も持ったね♪
結婚当初は、縫製会社に正社員として働いていた、という。
会社のユニホームなどをミシンで縫う会社であった。

昭和41年に、私を生んでくれた。
だが、当時私が生まれた時のことを母が話すには
”あんちゃん(私、かしてつのことをこう呼んでいた)はね~、普通はね生まれた時に泣くもんだが
そうじゃなかったんだ!生まれたにも拘らず、泣かなかったから、手のひらを叩いて初めて泣いたんだよ!”
とそう言っていた。もし私にこの時何もしなかったら、多分この世にはいなかったかも知れないだけに
本当に背筋が寒くなる思いだっただろう。
また、私が生まれた時に、既に右目上の瞼が半分塞がった状態だった。
ちょうど初産で難産あったこと(結局丸一日以上かかった)が最大の難関でもあった。
それだけに、この時のことを話すとちょっぴり潤んでくる・・・。

昭和44年に弟が生まれた。
こちらは順調であったことが幸いした、が、その何年後から弟の行動が気になり始めた。
母もこの時まで障碍に対して、すぐに普通になるだろう、そんな期待感を持っていたが、
保育園から小学校に上がった頃には少しずつ遅れが始まっていた。
その事を母はうすうす気になっていた様子でいながら・・・。

弟が障碍児学級に入級したのが小学三年の時、この時はもう障碍かも?といった事はわかっていたが
いざ障碍児学級に入るとなるとさすがにショックを受けたようで、しばらくはごはんも満足に食べられず一週間過ぎた。普段人の前で決して泣かない母であるが、この時は一晩泣いていた。しばらくは苦悩の日々が続く。

昭和54年に縫製業を辞める。
縫製会社にいたのは昭和44年までだったが、その後も家で縫製業を営みながら毎晩夜12時まで休みながら続けていた。私らが体を心配しているのとはよそに・・。母はタフだったよ!

母が病気にかかったのは今から15年以上の前。
この時、母は目の視力が見えなくなるのではという白内障にかかり始めてた。
しかし、私達家族が男3人抱えていることもあり、食事を母が作らなければならず、
母に迷惑をかけたかもしれない。
そして、いよいよ入院。ちなみに白内障は手術成功。今ではすっかり目は見えます!

そして同時に初めて子宮筋腫、と診断。
もっとももう生む年でもないのでそんなにショックはなかったようだが、
ホルモン分泌不足を補う薬での服用がこの時から始まった。今でも服用中。

そして、今。
今年で65になり、卵巣が膨らんでおなかが大きくなりつつあって、手術の決断が迫られている。
しかし、今のところ痛みもなく、生活になんら影響もない!
男三人囲まれている中でここまで苦労かけた母には感謝仕切れません!
これからもいろいろ迷惑かけるかもしれないが、おばあちゃん^^になってもよろしくお願いします♪
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プロフィール

かしてつライフ

Author:かしてつライフ
年齢 42歳
住所 常磐線とTXの中間にいます。
実家 鹿島鉄道沿線(もうなくなっちゃったけど^^)
好きな路線 
常磐線=E531系G車にこれからどんどん乗車予定(金額問題はあるが)
鹿島鉄道=遂に廃止されてしまいましたが心の中ではこれからも走っていますよ
TX=今年は筑波山へ行くのに使うかも?
画像はかしてつの仲間達。みんなばらばらになっちゃった・・・

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